SHIROBAKO 放送当時、瀬川さんから色々影響を受けていました
1年早いですね、毎年言ってる気がします。
この記事はSHIROBAKO Advent Calendar 11日目の記事です。
今回は瀬川さんの仕事に対する姿勢と、それに対して自分が影響を受けたことについて書いてみようと思います。
SHIROBAKOを最初に見ていたのは当時はまだ大学4年生になった頃で、仕事に対しの考え方は、瀬川さんからの影響が一番大きかったように思います。
こちらはSHIROBAKO #08 責めてるんじゃないからねで絵麻が提出した原画の内容を気にして、瀬川さんが宮森に説明するシーンです。
「きっともう少ししたら、安原さんも普通に出来るようになることなんだよ。自分の後の工程のことを考えて描くなんてことは。でも、今はまだ分からない、分からないから出来ない。ちょっとの違いなんだけどね」
一人で完結しない規模のものを作るときは、必然の他の人が関わってきます。そして、自分とは別の工程を任せるということも多いと思います。
自分の仕事が他の人の工程に関わるという、今となっては当然に感じることも、当時大学生だった自分には、絶対意識しておくべきことだなと感じた記憶があります。
こちらは自分が好きなSHIROBAKOの言葉の中で一二を争うものです。
SHIROBAKO #22 ノアは下着です。 で宮森が瀬川さんに作画監督やってもらえないかと依頼するシーンです。
「クリエイターには関わった話数一本一本が名刺代わりってこと。流して描く作品なんて無いってこと。」
瀬川さんのこの言葉を聞いて、自分自身の仕事に対する覚悟や他人の仕事に対する考え方にかなり影響を受けました。
これを聞いた翌年にはアプリのエンジニアとして働き始めていて、デザイナーとやり取りする機会が多く、できる限りデザイナーの意図を汲んだUIや操作感を実現したいと思いながら日々開発していました。
単純に「提示された見た目を作る」のではなく「このアプリ自体が、自身の名刺にもなるし、他に関わってる人の名刺にもなる。だからしっかり作りたい。」という心持ちで働くことができました。
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社会人でいる時間が長いと、色々と熱を持っていた気持ちを忘れてしまいがちですが、こういうタイミングをきっかけに気を引き締めていきたい。
前回、前々回と何度かSHIROBAKO Advent Calendarを書きましたが、なにげに作品自体ではなく、自分のことについて書いたのは初めてでした。